藤原氏の摂関政治についての話

平安時代の摂関政治といえば、藤原道長と藤原頼通が有名です。摂政という役割は、天皇に変わって政治を実行する立場にありました。そして関白という役割は、全ての役人の上に立って、全ての政治案件に目を通す立場にありました。しかし実際には、関白になっても、摂政と同じように、天皇の代わりに政治を行いました。摂政や関白という役目は古くからあったわけですが、日本史の教科書に出てきて、強烈に目立っているのは、何と言っても、藤原道長と藤原頼通です。2人は親子です。前者が詠んだ歌も有名です。「私が統治するこの世の中は満月と同じように全くかけるところがない。」と言いました。そして後者は10円玉の裏側に刻印されている平等院鳳凰堂を立てた人物です。彼らの摂関政治は50年間も続いたと言われています。ところがです。この2人は、基本的には政治に関して全く興味を持っていませんでした。毎晩のように宴会を開いて、呑んだくれていたというのです。それで平安時代は凋落の一途をたどっていきました。摂政や関白になることができるのも、その2人の親戚や子孫だけです。そういう世襲制は貴族たちが努力することを放棄することにつながりました。朝廷に出勤したりしなかったりと、怠惰が蔓延していったのです。平安時代が没落していったのは、あの親子がまともに政治をしなかったことが大きな原因なのです。
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